G戦場ヘヴンズドア 1集 (IKKI COMICS)

G戦場ヘヴンズドア 1集 (IKKI COMICS)

G戦場ヘヴンズドア 2集 (IKKI COMICS)

G戦場ヘヴンズドア 2集 (IKKI COMICS)

G戦場ヘヴンズドア 3集 (IKKI COMICS)

G戦場ヘヴンズドア 3集 (IKKI COMICS)

何に絶望するかを基準にモノを書いてきたつもりだった。


書いてきたとかいうとずいぶんエラそうだ。まだ腹の中にあるモノは八割方ゲロにできてないし、ちゃんとキレイなゲロにできるかどうかも最近ちょっと怪しい。あ、違う。ココではずっとウンコと呼んできたんだっけ? ま、どっちでもいい。体の中から外に出される汚いモノなら、ゲロでもウンコでも内臓でもアレでもたいした変わりはないのでどれでもいい。今となっては。ここ最近になって生み出されているものはきっと、ゲロでもウンコでも内臓でもアレでもどれでもないだろう。くそ。
んで、
これから懸命にゲロになろうとしている何人かのθの塊は、全員が例外なく絶望を基準にして文字列に組み込まれる予定になっている。全員が例外なく絶望に接触するか、戦闘するかということになる。そしてパッケージの手前にいる方々に▼近いモノたちは、例外なく全員救われる予定になっている。だって、そうじゃないと気持ち悪いでしょ。
ところで、
何で書いてるの? と聞かれると言葉に詰まる。書けるから書いている、と答える以外に方法がない。今手元にあるものですら、今でない以前に書かれた設計図に沿ってプラモデルのように組み上げようとしているだけなので、進行中に組み込まれる新しいパーツはない。図面の通りに作業しているだけなので、感情はない。もし誰かがそれを読んだとき何らかの感情を読み取ったら、それはただ読者の感覚に製作者の技術が勝ったということだ。その感情は、製図の段階で使用されることが決まったので用意されただけのインスタントだ。ここにはこれ、そこにはそれ、あそこにはあれ。そんなもんやってて面白い? 面白いワケない。でも、ちゃんと最後までパッケージできたら、面白い。そういうふうに設計したので。
だって、
創作のHow Toなんかには「キャラを立てる」の項目が必ずある。そりゃ、キャラが立ってなくて誰が喋ってんのかもわからなくて魅力のないヤツがかっこいいことを言ってるようなモノは最悪だが、How Toに従って強制的に立てられたキャラにインスタント以外の感情があるとは、あまり思えない。誤解を解いておくと、自分は、自分の書いたキャラのことは、面白いと思っている。彼らは例外なくインスタントな感情へ読者の視点を導く装置だが、例外なく“作者自身”を切り売りして出来上がったモノではないので、れっきとした他者なのだ。作為的に生まれてくるものの中で、ここだけは自然なものに近ければ近いほどいい。自分の前にいる連中もそうであると思いたい。魅力が出来上がっていない状態で生まれ、How Toによって強制的に魅力を付加され別人と化した連中ではなく、最初からその形で履歴と疑問と目的を持って生まれてきた者たち。人間ではないが、ちゃんとした生き物であることに間違いはない。
だが、
どこまでも作為的に完成されたキャラがおかしいとか言いたいわけじゃない。商業的に書くことを目指している人間にとって、商業的なモノに関して何か言う権利はない。消費市場の中央ルートにいる方々の視線を導くために必要なモノがあれば、正義はそっちに傾く。それがおかしいとか言いたいわけじゃない。その権利はないし、そこまで確立した実力もない。むしろ、それが正しいと笑いながらメシを食えるようになりたい。
そもそも、
何で書いているかと聞かれて賞が欲しいから以外の理由を答えることの出来る方、います? 何で賞が欲しいのか聞かれてプロになりたいから以外の理由を答えることの出来る方、います? 何でプロになりたいか聞かれて金銭以外の理由を答えられる方、います? ほとんどいないと思っているのだが、ま、別におかしなことじゃない。自分もそうだし。それ以外の理由を答えられたのは、自分の周りには知っている限り一人しかいない。もちろん、自分以外で。世の中には▼そういったものを度外視して書くことの出来る人間もいるのだということは知っているが、それが出来る方たちは本当に、本物だと思う。一番の爆笑もんなのは、プロのボーダーをまったく越えていない地点で、こうやって当り散らす自分のような人種なのだとも思う。過去に/いずれボーダーを越える人種はこんなことしている間に、生産してるわけだし。結局、プロになりたいと思った時点で、だいたいはプロになったあとのしょうもない想像をしてるのよね。いかにも今気付いたかのように書いているが、ずっと前から気付いていた。気付いていないフリをしつつ、もっともらしい理由をつけていたが、もう限界だ。しょうもない理由しかないヤツにはしょうもない結果しか出ない。解ってっけどさ。
だってさ、
ここでようやく上に出した作品の話になるけど、こんなに立派で素敵な理由、持ち合わせちゃいないワケですよ。そもそも書こうと思い立った発端ですら、賞の存在であったワケで、そこに自分を出そうとか微塵も思ってはいないの。最初からないものがどれだけ時間が経っても進化するはずなく、だから最終的にインスタントなものに手を出すしかなかったワケ。その時点で、作品に自分を投影しようとしている方たちとは、姿勢も人格も器も成ってないでしょ。姿勢とか人格とか器が成ってなきゃ面白いモノは出来ないと言われれば反論する準備はあるけど、こういうのは直視できない。マトモに見ると心が折れるので。でも一方で、商業的な生産ラインの上にいる人間がこういうことを言っているのを、胡散臭い眼で見ているところもある。ヘブンズドアの中にいるコイツらはそうだとしても、そのパッケージの手前でテレビ点けっぱなしでメシ食ってるオマエらはどうなの? 思ってる? ホントに? そりゃ、ただの▼言いたいことであれば、作中に投影したことと作者自身が直接結びつく必要はないけどさ。
んで、
自分は作品に自分を投影するのが苦手だ。それが自分の言いたいこと▼らしきものに見えても、それが用意したインスタントでない自分自身だと言い切ることができない。商業的に書きたくて、賞が欲しくて、そのための作品が欲しくて、そこに使うためのテーマを探している。こんな間違った書き方を続けているうち、聞かれたくなくなった言葉がコレだ。
何が書きたいのか?
いつも、出来上がったパッケージの中から、その質問に合う解答部分を探す。作品として最終的に目が行くだろう箇所が、最初からなく、途中でどこかから見つけて取り付けたつもりになる。取り付けた▼つもりの時点で、たぶんもう違うんだろ。
じゃ、何で書いてんの?
でも、たぶん、だから、結局、人に見せたいからやってんだよ。たとえそれがゲロでも、七色に光るゲロが出たら誰かに見せたくなるでしょ。しょうもない理由でゲロ吐いてるうちに、珍しいゲロが出せそうなことに気付いただけ。続けてたらそのうち、すげえゲロ出るかもしんないし。そういうことにしとこう。

終わり。


こういう自己分析って自分だけが解っていればいいことなのであんま書く必要はないと思っていたのだが、今回だけは身近に見ておいてほしかったひとが一人いたので、表記しておく。

どうもありがとう、いい作品だった。
はい、では次のニュースです。