尻を浮かしてはならぬ

「Hello?」


電車が参ります――、のアナウンスに続くように声をかけられ、ふとそちらを見れば見知らぬ外人の青年が立っていた。柔和な顔をしたナイスガイである。そのナイスガイの視線の向きからしても周囲の人間の配置具合にしても、どうやら話しかけられているのは自分らしいとアマサトはそこで理解した。
道でも聞かれるのか、こんなところで? などと思いつつ次の言葉を待っていると、


「How are you?」


どうやら違うらしい。何が何なのか解らないまま、アマサトはとりあえず返事をする。


「あー、oh, I'm fine」


言うまでもなく、ここに挟み込まれたこの「oh」がせめてもの外人対抗策というが精一杯の英語らしさである。「yeah,it's cool」ナイスガイはナイスガイな笑みを浮かべ、止まらぬ舌でこう続けた。


「×××、××、×××?」


アマサトの英語力的自尊心はそこで瓦解した。目の当たりにしてよく解ったが、舌のスペックにそもそもの違いがありすぎるのだろう。基礎的な(それこそ中学生程度の)、単語と文章だということは解ったのに、こうも流暢に喋られると何を言われているのかすら曖昧になる。
とりあえず、ナイスガイは会話を望んでいるらしい。ならば続けてやろうじゃないか。だが何と答えればいいのか、そこで数瞬迷いが生じた。
想像してみるがいい。英会話教室やそこらにいる、ある程度の発言を予測できるような、いわば「仕込みガイジン」とはわけが違うのだ。完全にフリーダムな、何を喋りだすかも解ったものではない(完全に化物扱いだなコレ)射程距離3000マイルの「天然ガイジン」である。確かに、英語は学んできたはずである。だが、結局はそれも紙面上のものでしかなかったということだ。こっちは「単語」で向こうは「言語」だ。そんな相手に向かって、絵の具で塗り固めただけのようなこの惨めな英語を晒せると思うか? だからアマサトはこう聞いた。


「えーと、にほんご、しゃべれます?」


迎合したまえナイスガイ、ここは私の国だ。


「アー、スコシダケ」


これまでは、「カタカナでカタコトの日本語なんざあざとすぎんだろう」とか思っていたのだが、実際そんな風に聞こえるから不思議なもんだ。
と、電車が来た。同じホームに立っているのだから乗る電車も同じである。成り行きで乗り込み、カタコトの会話は継続した。



ナイスガイの名はワイズというらしい。
ラスベガス出身だが、ある活動(ワイズはボランティアと言った)の為に向こうの大学を休学し、こちらに来ているらしい。滞在は二年間の予定で、今は十一ヶ月目だそうだ。曰く、「ニホンダイスキデス」らしい。よかったよかった。十一ヶ月という期間のためか事前に勉強していたのか知らないが、ワイズの日本語はカタコトながら語彙が豊富である。それに比べて何だ貴様そのザマは。お恥ずかしい。
と、そのとき、ワイズの胸のあたりに何やらプレートがあることに気づいた。そこには肩書きがこうある。


「宣教師」


ああ活動ってのはそういうことか、と思っていると、それに気づいたワイズが突然分厚い本を取り出した(おい、どっから出したんだそれおい)。ワイズは何やら今までより積極的な風に、その本のタイトルを見せた。そこにはこうあった。


「モルモン書」


ほう、なるほど。
中身も見せてもらう。完全な日本語版である。それをワイズが持っているということは布教のためなのかそれとも何なのか、それは定かではないが。
モルモン書、モルモン教――、つまり末日聖徒イエス・キリスト教会は、カトリックプロテスタントから見るとアレくさい立ち位置にある、というようなことを聞きかじった覚えがあったのだが(誰にしても失礼な話ではあるが)、つい好奇心が出ていろいろ話を聞いてしまう。
ワイズは書の魅力をアツく語った後に、教会周辺の地図が描いてあるチラシを渡して、


「マタアイマショー」


グッと握手をすると嵐のように去っていった。なんだろう、勧誘のノルマでもあるんだろうか。
にしてもピンポイントで話しかけられるとは、話聞いてもらえそうみたいな雰囲気でも出ているのかしら。それとも彼の嗜好に合っただけなのか。……ということは……あれ……もしかして……。
ぼくの貞操が……危ない……?
いやいやいやいや。


続くかもしれない。
続かないといいなあ。