planet roll call・後

8:
 声がする。
 その声によれば、Hoには意思があったという。
 今や遥か遠く離れ、儚げに見えるほどの都市を頭上に見下ろし、快調な速度が続くように思われていた航行は、出立からまだしばらくも経たないうちに俄かにその速度を緩めた。表層では意思持つ生物のように霧が船にまとわりつき、どこまでも追ってきている。一寸先も見えないほどの霧が航行を困難なものにするかと思われたが、船はそこで振り切るようにまた速度を急上昇させることによって、霧を突っ切り、視界を確保した。
 誰かが言った。もうすぐだ、と。Hoは言った。もうすぐだ、と。誰かが言った。越境の門だ、と。誰かが言った。門が来る、と。そしてHoの頭の中に声が聞こえてきた。
 誰ぞや。
 それはあのキー! というメガホンの音によく似たものがあった。その声が聞こえてきた瞬間に意思持つ生物のような霧の群れが俄かに速度を上げ、船に追いつき、回り込み、またその前途を隠した。船もそれに合わせまた速度を上げ、双方がそれを繰り返すうちに船の速度は限界にまで達した。船が速度を上げるたびに声が聞こえてくる。誰ぞや。誰ぞや。誰ぞや。
 そのとき、霧が一瞬のうちだけ晴れ渡り、船の行く先を見せた。Hoは遥か前方に、怪しく煌く巨大な影を見た。見えたと気付いたまた次の瞬間には影は船の目前まで迫り、その正体を見せた。影はHoの船と全く同じ姿の船だった。そしてここで、Hoはその影を映していたものが、果ては地平まで続くかと思われるほどの巨大な鏡像なのだと気付いた。
 船が鏡像の船と衝突するとまさに今思われたその瞬間、Hoの視界の中で全てのものが静止した。船と、霧と、音と、光と、時間と、その姿を写し取る鏡像の全てが静止し、Hoはその中で知覚した。
 Hoが知覚するものの中にはまだあの声がある。我こそ王。我こそ王。我こそ王。我こそ星なり。汝こそ星なり。我が星は点呼の星なり。誰一人欠かさじ。誰一人欠かさじ。誰一人欠かさじ。
 その中で一人全てを知覚するHoは、今や全てを思い出そうとしていた。得たものの全てと、失ったものの全てを。自身で自らを騙った全てのものを認め、事実とそうでないものの境が薄れていくのにHoが気付くにつれ、鏡像の船の姿もまた薄れ、消えようとしていた。
 船が動き出す。
 Hoへと、あのノイズがついに届いた。


9:
 声がする。
 その声によれば、Hoには記憶があったという。
 霧は晴れ、船はあるがままの空の中を飛翔した。倦怠の風を切る船の速度は、今や鏡像の門を遥か後方に置き去りにし、上空に至り飛び続けた。前途を隠し続けた霧は微塵の曇りもなく晴れ渡り、履歴を捻じ曲げ続けたあの音すらも置き去り、船はただ上空へと飛んだ。
 ようやく到達したその天涯こそが初期値。何もかもを俯瞰するあるがままの空で、Hoは偽りのものの中に巧妙に隠されていた真実を見た。欺かれ続けた全てのものが、Hoの目にも明らかなものに映ろうとしていた。
 Hoの視野が、あの霧とは違ったふうに白みはじめていた。その白き視野の中で、Hoはそこにある九人の姿を見た。そして、その九人を思い出す。彼らの名は、Bn、Bi、Da、Ju、Jo、Ka、Ma、No、Pe。Hoの過去に立っていた九人の友人たち。
 あるべきものがあるべきところへ還ろうとしていた。Hoの視野もまたその流れに伴い、あるべきように、段々と白んでいく。九人の友人たちと同じ場所へと。白く染まったHoの視野の中で、小さく、短いノイズが鳴った。あのキー! ともゴー! とも取れる音に混じって聞こえていた、ザー! というノイズの片鱗。Hoはそのとき、ノイズの本当の意味を知った。
 短いノイズ。
 短いノイズ。
 短いノイズ。
 そしてノイズは声を象った。
「ようこそ」と。


10:
 声がする。
 その声によれば、Hoには命があったという。
 視界が晴れ、そこは海だった。水面が震え、波が波を取り込んで揺れる様を、彼は眺めていた。いつからそうしていたのかは判然とせず、また知る気もないまま、彼はそうしていた。
 海の上に雲があり、風がそれを揺らす様を、彼は眺めていた。打ち上げられた水の群れが砂を含み、急ぐように運ぶ様を、彼は眺めていた。空の星が闇の中にあり、人の影を得ていく様を、彼は眺めていた。あるべきものの全てがあるべきようにある様を、彼は眺めていた。
 見えるものの全てが見えるとおりにあることを、彼は知った。
 それが良いことなのか、彼には思い出せなかった。
 彼の見る先では、睡蓮が咲いていた。
 平穏の声が言った。
「共に」と。